日本会議の機関誌『日本の息吹』4月号に八木秀次氏のインタビュー
記事「『夫婦同姓合憲』最高裁判決に思う」が掲載されている。
その中で
「夫婦同姓は日本の伝統ではなく、明治以降につくられたもの」
という意見に反論している。
「たしかに夫婦同姓が法制度として導入されたのは明治31年
(1898)の民法からですが、当初、明治政府は、結婚後も生まれな
がらの姓を名乗れとした。
それは武家の考え方で、武家は父系血筋を重んずるので、
女性は嫁入りしても北条政子や日野富子のように、自分の父方の系統
を示すために実家の姓を名乗っていた。
しかしそんな武家でも慣行上は何々の奥方と呼ばれるなど、
家との関係が重んじられた。
一方、庶民はどうだったかというと、庶民には氏(姓)はなかった
けれども、『屋号』があって、その家の旦那、女房、子という捉え方
をしていた。
それで、明治政府から生まれながらの姓を名乗れといわれたときに、
旧武家からも庶民からも非難が殺到し、地方議会では非難決議が
上がったほどだった。
こうした声が明治31年の民法改正に結実して、いまに続く同姓と
なったのです」と。
例によって、怪しげな知識を振り回している。
例えば、近世の庶民が名字を持っていなかったというのは全くの俗説。
ただ公式に名字や姓を名乗ることが禁じられていたに過ぎない。
私的な場面での名字の使用は多く知られていて、中には名字と姓を
併用した例も。
又、一般的には北条政子の名前で知られる女性は、姓は平(たいら)
で源頼朝と結婚後も平政子だった等々。
だが、そんなことはさておき、注目すべき点は別にある。
それは、八木氏が「父系血筋を重んずる」態度を「武家の考え方」と
一蹴していること。
父系血筋って「男系」の血筋に他ならない。
それを「重んずる」のは、別に日本古来の「伝統」ではなく、
単に“武家の考え方”に過ぎない、と。
これは一体、皇室典範の改正を巡り、どこまでも男系限定に固執する
彼の立場と、どう整合するのか。
側室不在でたとえ継承者が絶える危険性が極めて高くても、
皇室だけは「武家の考え方」で行けるところまで行け!
という話にしかならないのだが。
なお、中世に庶民の夫婦が同じ名字を名乗っていた事例も、
既に報告されている(坂田聡氏)。
男系の血筋を絶対視するのが「伝統」ではなかったという
八木氏の指摘は、今更ではあるがその通り。